弘億の家〜広島県建築士会支部報鯉城 2005.3

街並みに対して、低く重く構えようと思った。それは、好意的に見れば、「どうぞよろしく」と両手を広げてお辞儀をしているような、それでいて、けっして軽快ではなく質感たっぷりに堂々としている構え。見方を変えれば、無造作で暗い表情を持つ家。(憂鬱なファサード)

建て主は、30代後半の男性で、美容院やカフェなどを手掛ける、いわばファッショナブルな商業建築のデザイナーである。空間を創造するという点において、我々と同業者である。

だからなのか、私に仕事を依頼してきた時点で、彼は自邸に対する空間構成の具体的要求を一切言わないばかりか、既成概念にとらわれることなく「自由に設計せよ」と、命ずるだけだった。ただ唯一、水辺を生活の近くに置くということを除いては。

この家は、建て主のライフスタイルと敷地及び環境により、寝室とリビング、季節と時間の移ろいを体感するための使いにくく見えるほどの少し長めの動線と、コンパクトに集約された水周りの組み合わせにより構成している。

また、建て主の職業柄、建築内部を親切丁寧に造り込む必要がなかった。よりシンプルに、無駄を削ぎ落とすデザインを追及した。有機的要素として水辺が有る以上、極限までその作業が是認されたのである。

水辺の効果として、夏は日照により水が蒸発するため周りから気化熱を奪い、建物の熱温を消し下げてくれる。冬は、入射角の浅い日射しにより、水面に反射した光が室内を暖める。

1年を通して、この家で暮らした建て主にインタビューしてみると、夏冬の暑さ寒さが思ったほどでなく快適だと言う。これは、リビングの南に配置した水が、その状態変化と鏡面作用により、省エネルギーに寄与した結果だと考える。

建築をするという行為と違う次元において、あるいは建築をも内包する大きな世界で、美しいものとはという思考を常日頃繰り返している。ある時、美しいという形容は、その言葉の外側の集合体の中にもあるのではないかと思った。例えば、その置かれている境遇により、憂鬱な表情を浮かべた純真な子供の、瞳のように…。 (飯田修平)